メガバンクがAIエージェントへの権限移譲の検討を始めた 三菱UFJ主導の分科会に20社超が参画
AIエージェントへの権限移譲とは、利用者が取引の実行をAIに任せる際に、委任の範囲を機械が検証できる形で証明する仕組みです。暗号署名付きのマンデート(電子契約)や上限・期限付きの鍵で「誰がどこまで任せたか」を取引ごとに照合でき、署名記録がそのまま監査証跡になります。
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- キリフダ株式会社
この記事の要点
- 2025年にVisa、Mastercard、Google、OpenAI・Stripeが相次いでエージェント決済の枠組みを発表した。共通する設計思想は、取引の実行技術ではなく「委任の証明」と「結果の検証可能性」に重心を置くこと。国内でも2026年6月、三菱UFJ主導のDID/VC共創コンソーシアム(DVCC)にみずほ・三井住友・りそなが加わる分科会が発足し、権限移譲と委任範囲の定義・証明・検証可能性の論点整理が始まった
- GoogleのAP2は、委任を「マンデート」という暗号署名付きの電子契約で証明する。意図・カート・決済の3つの署名記録が否認不能な監査証跡になり、60を超える組織が発表に名を連ねた
- オンチェーンの委任はさらに踏み込み、金額上限・期限をコードで事前に強制する。範囲外の取引はそもそも実行されず、実行された取引は台帳上で誰でも検証できる
- 既存金融の委任(投資一任契約605兆円)は書面と事後の検査・監査で支えられ、逸脱の検出は顧客の申告が起点になりやすい。無断売買の苦情は2024年度に55件あった
- 法的責任は依然として人と事業者に帰属する。AIエージェント決済の取扱高は報道ベースで累計約80億円と、既存の委任市場に遠く及ばない
AIエージェントへの権限移譲とは委任を「機械が検証できる証拠」にすること
AIエージェントが人に代わって支払いや取引を実行する枠組みが、2025年に出そろいました。Visaは4月30日に「Visa Intelligent Commerce」を発表し、AIエージェントがトークン化されたカード情報で購買できる仕組みを示しました[1]。Mastercardは前日の4月29日に「Agent Pay」を発表しています[2]。9月16日にはGoogle Cloudが決済プロトコル「AP2(Agent Payments Protocol)」をMastercard、PayPal、American Express、Coinbase、JCBなど60を超える組織と共同で発表し[3]、9月29日にはOpenAIとStripeが共同管理するオープン標準「ACP(Agentic Commerce Protocol)」の仕様が公開されました[4]。注目すべきは、これらの発表が競っている場所です。AIに買い物をさせる実行技術そのものではなく、「この取引は本当に本人が任せたものか」を証明し、事後に検証できるようにする仕組みの標準化に、決済大手が一斉に動きました。
AIエージェントとは、特定の目標を達成するために自律的に行動するAIシステムです。金融庁は2026年3月公表の「AIディスカッションペーパー(第1.1版)」でこの定義を示し、「2025年は『AIエージェント元年』とされる」と記しました[5]。従来の生成AIが「答える」道具だったのに対し、AIエージェントは検索・比較・発注・支払いという一連の行為を人の逐一の確認なしに実行します。ここで金融実務上の問いが変わります。人が実行するなら本人確認と意思確認で足りますが、AIが実行するなら「誰が・どのAIに・どこまで任せたか」という委任の範囲を、取引の相手方や決済網が確かめられなければなりません。
他者に金融取引を任せる行為そのものは、既存金融に古くからあります。運用を任せる投資一任契約、支払いを任せる口座振替、手続きを任せる委任状は、いずれも「委任の範囲を定義し、証明し、逸脱がないか検証する」仕組みを備えています。ただしその手段は、契約書面・登録制度・事後の監査と検査という、人と組織を前提にしたものでした。本稿は、この委任のライフサイクル(定義・証明・執行・検証)が、暗号署名されたマンデートと検証可能なクレデンシャル(VC)、そしてオンチェーンの権限付きの鍵によってどう置き換わりつつあるかを、既存金融の実務と対比して整理します。
委任の証明は「マンデート」という暗号署名付きの電子契約で行う
AP2の中核は「マンデート(Mandate)」です。マンデートとは、改ざんできない形で暗号署名されたデジタル契約であり、利用者の指示の検証可能な証明として機能します[3]。既存金融の言葉に置き換えれば、委任状そのものを機械が読み取り、真正性を数学的に確かめられるデータにしたものです。紙の委任状は筆跡や印鑑で真正性を推定するしかありませんが、暗号署名は署名した本人の鍵でしか作れず、内容を1文字でも書き換えると検証に失敗します。
マンデートの技術的な土台が、検証可能なクレデンシャル(VC: Verifiable Credentials)です。VCとは、発行者の暗号署名によって真正性を検証でき、改ざんが検出可能なデジタル証明書の標準データ形式で、W3C(Web技術の標準化団体)が2025年5月15日に勧告(正式な標準)としました[7]。AP2の仕様書はマンデートをVCとして定義し、現行仕様(v0.2)では署名形式にSD-JWTという方式を用いると定めています[6]。日本でも、内閣官房のTrusted Web推進協議会が2023年公表のホワイトペーパーで、VCなどにより「やり取りするデータや相手方を検証できる仕組み」を構築する方向を示し、法人の代理・委任や権限委譲の扱いを設計課題として挙げていました[8]。委任を検証可能なデータにするという発想は、AIエージェント以前から積み上がってきた流れの上にあります。
AP2ではマンデートが3種類に分かれ、委任の範囲から決済までを署名の連鎖でつなぎます(図1参照)。第一の「意図マンデート」は依頼の条件を記録します。利用者が不在の間に購入させる場合、たとえば「発売と同時にコンサートのチケットを買う」という条件と上限を利用者が事前に署名し、エージェントはこの署名を提示して初めて動けます[3]。第二の「カートマンデート」(現行仕様の名称はチェックアウトマンデート)は、エージェントが確定させた購入内容への利用者の承認を署名として記録します[6]。第三の「決済マンデート」は、クレデンシャル提供者・決済ネットワーク・加盟店の決済処理事業者に共有され、エージェントがその決済を実行する権限を持つことの暗号学的証明を与えます[6]。
この設計の狙いは、取引結果の検証可能性にあります。Google Cloudは、意図からカート、決済に至る一連の記録が「認可と真正性という重要な問いに答える、否認不能な監査証跡を作る」と説明し、不正や誤った取引が起きた際に誰が責任を負うかを判定する土台になるとしています[3]。仕様書も、紛争時にはチェックアウトマンデートと決済マンデート、それぞれの受領証を突き合わせることで取引の全体像を否認不能な形で示せると定めています[6]。既存のカード決済の紛争処理が、加盟店の売上票や利用者の申告を人手で突き合わせる作業だったのに対し、署名記録の照合は機械的に完結します。
オンチェーンでは委任の範囲をコードがそのまま執行する
マンデートが「委任の証拠を残す」仕組みだとすれば、オンチェーンの委任は一歩進んで「委任の範囲を事前に強制する」仕組みです。土台になるのがスマートアカウントです。Ethereumの標準ERC-4337は、アカウント自身が取引の検証ロジックをスマートコントラクト(分散台帳上で自動実行されるプログラム)として持てる仕組みを定めました[9]。検証ロジックを自分で書けるということは、「この鍵は1日1万円まで」「この鍵は今月末で失効」といった条件付きの権限を、アカウントの機能として実装できるということです。
オンチェーンの委任では、範囲の定義そのものが鍵のパラメータになります。策定中の標準ERC-7715は、アプリやエージェントがウォレットに「利用者に代わって取引を実行する権限」を要求する共通の方式を定めており、権限には金額の上限(allowance)や失効時刻(expiry)を付けられます[10]。上限を超える取引や期限切れの取引は、実行の段階で拒否されます。既存金融の委任が「逸脱したら事後に発見して責任を問う」構造なのに対し、オンチェーンの委任は「逸脱した取引はそもそも成立しない」構造です。2025年5月7日のEthereumのアップグレード(Pectra)では、通常の口座(EOA)にもこうしたコードによる権限管理を持ち込むEIP-7702が有効になりました[11][12]。ルールをコードで事前に執行するこの設計が与信の世界で機能している実例は、別稿「KYCなしで与信は成立するのか」で解説しています。
エージェント自身の身元と実績を台帳上で検証する標準も動き出しています。2025年8月に起草されたERC-8004(Trustless Agents)は、AIエージェントの識別子を記録するIdentity Registry、利用者からの評価を集めるReputation Registry、そして第三者による検証結果を記録するValidation Registryの3つで構成されます[13]。検証の手段として、ステーキングした検証者による作業の再実行、zkML(機械学習の計算を暗号学的に証明する技術)、TEE(改ざん耐性のある実行環境)などを想定し、「事前の信頼関係なしに、組織の境界を越えてエージェントを発見・選択し、相互作用する」ことを目標に掲げています[13]。起草者にはMetaMask、Ethereum Foundation、Google、Coinbaseの所属者が名を連ねます[13]。
取引結果の検証可能性は、台帳の性質そのものに由来します。パブリック型のブロックチェーンでは取引が全件公開されるため、委任の範囲(公開された権限のパラメータ)と実際の取引履歴を、利用者本人はもちろん、利害関係のない第三者も突き合わせられます。対して既存金融の取引記録は事業者の内部帳簿にあり、検証できるのは監査人と当局に限られます。帳簿そのものが公開の監査証跡になるという構造の違いは、後述する検証コストの差に直結します。
既存金融は605兆円の投資一任契約を書面と検査で支えてきた
既存金融で「取引の実行を他者に任せる」仕組みの代表が投資一任契約です。投資一任契約とは、金融商品の価値等の分析に基づく投資判断の全部又は一部を一任されるとともに、その投資判断に基づき顧客のため投資を行うのに必要な権限を委任される契約で、金融商品取引法が定義し、受任者には投資運用業の登録が求められます[14]。日本の投資一任契約の契約金額は605兆5,184億円(2026年3月末)で、前年から77兆3,611億円(14.6%)増えました。投資助言契約を含む投資一任業全体では681兆3,652億円にのぼり、増加の主体は国内の公的年金(助言契約を含む集計で前年比46兆5,766億円増)です[15]。個人向けのラップ口座も206万件・27兆245億円(同時点)に達しています[15]。米国では登録投資顧問(RIA)の運用資産が約2京8,000兆円(176.8兆米ドル、2025年末)にのぼり、その92.7%が一任(discretionary)運用です[16]。「人がプロに実行を委ねる」市場は、それ自体が巨大な既存産業です。
この巨大な委任市場を支えてきたのが、書面による証明と事後の検証です。委任の範囲は契約書と投資ガイドラインの文章で定義され、証明は契約書面そのものが担います。検証は受任者の報告と外部の検査に依存します。民法は受任者の報告義務を「委任者の請求があるときは、いつでも委任事務の処理の状況を報告し」と定めますが[17]、裏を返せば報告は請求と定期報告が起点であり、取引の一件ごとに委任範囲と照合される仕組みではありません。範囲を逸脱した取引の検出も、顧客の申告が起点になりやすい構造です。証券・金融商品あっせん相談センター(FINMAC)が2024年度に受け付けた苦情は859件あり、うち55件(6.4%)が無断売買、すなわち顧客の同意のないまま実行された取引に関するものでした[18]。
規模の差は歴然です。AIエージェント決済の代表的プロトコルであるx402の累計取扱高は報道ベースで約80億円(5,000万米ドル、2026年4月時点)にとどまり[20]、日本の投資一任契約の契約金額605兆円[15]と並べれば、残高と累計取扱高という物差しの違いを脇に置いた単純比較でも約7.6万分の1です。オンチェーンのエージェント取引が既存の委任市場を規模で脅かす段階にはありません。一方で、コスト構造の違いは規模の差では測れません。委任範囲との照合には、既存金融では受任者の内部管理部門、監査法人、当局検査、紛争解決機関という少なくとも3〜4層の人的組織が関与し、検証は事後・抽出的に行われます。エージェント決済とオンチェーン委任では、署名の照合と上限の強制はシステムが取引ごとに自動で行い、1件あたりの追加コストは計算資源にほぼ限られます。この対比は費用額の推定を伴わない方式の違いにとどまりますが、1億件を超える取引[19]の照合を人的検査で行うのは現実的とは言えず、件数が増えるほど差が効いてきます。ただし、既存金融の検証コストには、裁量判断の適否評価や利益相反の管理、顧客保護といった、署名照合では代替できない機能の対価が含まれる点は割り引いて読む必要があります。
| 項目 | 投資一任契約 | エージェント決済(AP2) | オンチェーン委任 |
|---|---|---|---|
| 範囲の定義 | 契約書・投資ガイドラインの文章 | マンデートに条件・上限を記述[6] | 鍵のパラメータ(金額上限・失効時刻)[10] |
| 委任の証明 | 契約書面・投資運用業の登録[14] | 利用者の暗号署名(VC)[3][6] | 台帳上の権限付与の記録[9] |
| 範囲の執行 | 受任者の判断と内部管理(善管注意義務[17]) | 決済網・決済処理事業者がマンデートを検証して承認[6] | 上限・期限をコードが実行前に強制[10] |
| 結果の検証 | 運用報告書・監査・当局検査(事後・抽出) | 署名記録と受領証の突合(取引ごと)[6] | 台帳で全件公開、第三者も検証可能 |
| 逸脱の検出 | 顧客の申告・検査が起点[18] | 署名のない取引として識別 | 範囲外の取引は実行されない[10] |
決済網がエージェントの「身元と権限」の検証者に名乗りを上げた
プレイヤーの構図で見ると、変化の中心は「誰が委任を検証するか」です。Visaは2025年10月14日、Cloudflareと共同開発した「Trusted Agent Protocol」を発表しました。加盟店がAIエージェントの身元と意図を暗号学的に確認するための枠組みで、エージェントはインターネット標準RFC 9421に基づく署名をHTTPリクエストに載せ、加盟店が登録簿の公開鍵で検証します[21][22]。Mastercardの「Agent Pay」は、既存のトークン化基盤の上に「Agentic Tokens」を載せ、信頼できるエージェントを識別する仕組みを打ち出しました[2]。2026年1月にはGoogleがShopifyなどと商取引の共通仕様「UCP(Universal Commerce Protocol)」を発表し、その仕様書はAP2のマンデートと検証可能なクレデンシャルへの対応を明記しています[23]。
投資一任契約の世界では、検証者は監査法人と当局という「閉じた専門家」であり、顧客から見えない場所で事後に働きます。エージェント決済では、決済網・カード発行会社・加盟店が取引の瞬間に署名を照合する検証者になり、オンチェーンでは台帳を見られる誰もが検証者になり得ます(図2参照)。検証が取引フローの外側(事後の検査)から内側(取引ごとの照合)へ移る、この配置転換が構図の変化の核心です。
政策側もこの構図を追認し始めています。国際通貨基金(IMF)は2026年4月のノート「How Agentic AI Will Reshape Payments」で、確率的にふるまうAIと決定論的な処理を求める決済インフラの間の緊張を指摘したうえで、本人確認(KYC)の発展形として、エージェントの検証可能な身元を法主体に紐付ける「Know-Your-Agent(KYA)」への移行を規制当局が検討する必要があると論じました[24]。検証されるべき対象が「顧客が誰か」から「顧客が誰に・どこまで任せたか」へ広がるという整理は、本稿で見てきた各プロトコルの設計思想と一致します。
日本でも、金融機関による共同検討が始まりました。三菱UFJフィナンシャル・グループと三菱UFJ信託銀行は2026年6月30日、三菱UFJ信託銀行が主催する「DID/VC共創コンソーシアム(DVCC、2023年10月設立)」に「AIエージェント×金融取引分科会」を設置しました。AIエージェントが顧客に代わって投資信託などの金融商品取引を実行する時代を見据え、利用者からAIエージェントへの適切な権限移譲の在り方に着目して、委任範囲の定義および証明、取引実行結果の検証可能性等を論点整理し、それを支える仕組みとして検証可能なクレデンシャル(VC)の活用可能性を関連法令との整合性も含めて確認するとしています[33]。分科会にはみずほフィナンシャルグループ、三井住友フィナンシャルグループ、りそなホールディングスや地方銀行、NTTデータ・NECなどのベンダー、法律事務所が参画し、2027年3月までを目途に検討を進めます[33]。委任の証明と検証可能性という論点は、海外のプロトコル設計だけでなく、国内の金融実務の検討項目にもそのまま現れています。
実需は条件付きの予約購入とAPIの従量課金から立ち上がっている
委任の証明を前提にした利用は、すでに3つの型で動き始めています。
- 条件付きの予約購入。「発売と同時にチケットを買う」「価格が条件を満たしたら購入する」といった、人間不在の時間帯に条件が成就する取引です。AP2の意図マンデートはまさにこの型のために設計されており、事前署名された条件が成就したときだけエージェントが購入を確定できます[3][6]
- AIエージェントによるAPI・データの従量課金決済。Coinbaseが2025年5月に公開したx402は、Webの応答コード402(Payment Required)を使い、エージェントがAPIの呼び出しごとにステーブルコインで支払うオープン標準です[25]。ブロックチェーンBase上の累計取引は2026年1〜3月期までに1億件を超えました[19]。ステーブルコインの仕組みは別稿「ステーブルコインの月間決済額が米ACHに並んだ」で解説しています
- オンチェーン運用の限定委任。金額上限と期限を切った鍵をエージェントに渡し、範囲内の取引だけを任せる型です。Coinbaseの開発キットAgentKitのように、エージェントにウォレットを持たせる開発基盤が公開されています[26]
資金フローの中身は、投機的な初期需要から実需へ移りつつあります。Chainalysisの分析によると、x402の初期の取引急増はミームコイン(投機的なトークン)の発行手段としての利用が主因でした。その後は取引の単価が切り上がり、取扱高に占める1米ドル超の取引の比率は2025年初めの約49%から2026年初めには95%へ上昇し、利用ウォレットの定着率も改善傾向にあります[19]。件数の急増だけを見て実需と読むのは早計ですが、単価と定着率という質の指標が改善している点は、投機の一巡後も利用が残っていることを示します。
責任の所在はまだ人にあり、規模は既存の委任市場に遠く及ばない
第一の限界は、委任を証明できても責任の所在は変わらないことです。AIエージェントは法的な主体ではありません。米国のほぼ全州が採択する統一電子取引法(UETA、1999年)は、人の関与なく動く「電子代理人」が成立させた契約はそれを用いた者を拘束すると整理しており[27]、国連国際商取引法委員会(UNCITRAL)が2024年7月に採択した自動化契約モデル法も、自動システムの出力はそれを運用・支配する者に帰属させる構造を取ります[28]。つまりマンデートや署名は「誰が任せたか」の立証を助けますが、エージェントの誤りの責任は委任者と事業者の間で配分されるべき問題として残ります。米下院金融サービス委員会の議員7名は2026年6月23日、証券会社がリテール顧客にAIエージェントによる自律取引を提供し始めたことを受け、証券会社・AI開発者・エージェントの法的責任の所在など13の質問をSEC(米証券取引委員会)委員長に送りました[29]。回答期限は2026年7月31日で、規制の整理はこれからです。
第二の限界は、AIそのものに由来するリスクです。金融安定理事会(FSB)は2024年11月の報告書で、AIの金融安定上の脆弱性としてサードパーティへの依存と集中、市場の相関、サイバーリスク、モデルリスクの4点を挙げ、共通のAIモデルやデータの利用が広がると取引や価格付けの相関が高まり、市場のストレスを増幅しかねないと警告しました[30]。FSBは2026年6月の市中協議文書で金融機関のAI利用に関する12の実務慣行の案を示し、AIエージェントの自律性に由来するリスクへの対応と、用途の自律性やリスクに応じた人間による監督を論点に挙げました[31]。証券監督者国際機構(IOSCO)も2026年5月、エージェント型AIを含む全類型のAIを対象にした監督ツールキットを公表しました[32]。金融庁のディスカッションペーパーも、融資判断など顧客に重要な影響を及ぼしうる業務では人の関与(Human in the loop)を必須とする運用が大半だと確認しています[5]。委任範囲をコードで縛れても、範囲内での判断の誤り、指示の取り違え、外部からの誘導(プロンプトインジェクション)は署名では防げません。
第三の限界は、規模と標準の未成熟です。前述のとおり累計取扱高は報道ベースで約80億円(2026年4月時点)[20]と、投資一任契約605兆円[15]の約7.6万分の1にすぎず、累計取扱高を件数で割った1件あたりの平均は数十円規模(推定)で、1セント未満の極小額取引も多く含まれます[19][20]。標準も確定していません。AP2は2026年4月公開のv0.2でマンデートの呼称と署名形式を再編した途上の仕様であり[6]、ERC-8004も起草段階(Draft)です[13]。委任の証明という設計思想は各陣営で一致した一方、どの仕様が事実上の標準になるかは未定です。
委任の証明が書面から署名へ移り、検証は事後から取引ごとに変わる
- 委任の証明が、契約書面から暗号署名されたマンデート(VC)へ移り始めた。GoogleのAP2には60を超える組織が参加し、Visa・Mastercardもエージェントの身元と権限を検証する枠組みを発表済み。国内でも三菱UFJらがDVCCの分科会で権限移譲と委任の証明の検討を始めており、同業はすでに動いている
- 検証の方式が変わる。既存金融の委任(投資一任契約605兆円)は事後・抽出の検査と顧客の申告(無断売買の苦情55件/2024年度)に頼るが、エージェント決済は取引ごとに署名を照合し、オンチェーンは委任範囲をコードで事前に強制する
- 規模はまだ小さく(累計取扱高は報道ベースで約80億円)、責任は人と事業者に帰属したままである。規模より先に、「誰がどこまで任せたかを証明し、誰でも検証できる」という市場構造の側が変わり始めている
よくある質問
- AIエージェントへの権限移譲とは何ですか?
- 利用者が取引の実行をAIエージェントに任せる際に、委任の範囲(何を・いくらまで・いつまで)を機械が検証できる形で証明する仕組みを指します。暗号署名付きのマンデートや、金額上限・期限付きの鍵によって、取引の相手方や決済網が「誰がどこまで任せたか」を取引ごとに確認できます。
- AP2のマンデートとは何ですか?
- GoogleがMastercard、PayPalなど60超の組織と2025年9月に発表した決済プロトコルAP2において、利用者の指示を証明する暗号署名付きの電子契約です。依頼の条件を記録する意図マンデート、確定した購入内容への承認を記録するチェックアウトマンデート(発表時の呼称はカートマンデート)、支払いの実行権限を決済網などに証明する決済マンデートの3種類で構成され、署名記録の連鎖が監査証跡になります。
- 検証可能なクレデンシャル(VC)とは何ですか?
- 発行者の暗号署名によって真正性を検証でき、改ざんが検出可能なデジタル証明書の標準データ形式です。Web技術の標準化団体W3Cが2025年5月に勧告として標準化しました。AP2はAIエージェントへの委任の証明(マンデート)をVCとして表現しています。
- AIエージェントが実行した取引の責任は誰が負いますか?
- 現行法ではAIエージェントは法的な主体ではなく、責任は委任した利用者と関与した事業者に帰属します。米国の統一電子取引法(UETA)は電子代理人が成立させた契約はそれを用いた者を拘束すると整理し、UNCITRALの自動化契約モデル法(2024年採択)も自動システムの出力を運用・支配する者に帰属させます。証券会社・AI開発者間の責任配分は、米国でも規制当局への照会が始まった段階です。
- 投資一任契約とAIエージェントへの委任は何が違いますか?
- 委任の証明と検証の方式が異なります。投資一任契約は契約書面で範囲を定義し、検証は運用報告書・監査・当局検査という事後の仕組みに依存します。AIエージェントへの委任では、範囲が暗号署名付きのマンデートや鍵のパラメータとして機械可読になり、決済網が取引ごとに署名を照合し、オンチェーンでは範囲外の取引がそもそも実行されません。一方、受任者が負う善管注意義務や登録制度のような利用者保護の枠組みは、エージェント側にはまだ整備されていません。
- 日本の金融機関はAIエージェントへの権限移譲にどう取り組んでいますか?
- 三菱UFJフィナンシャル・グループと三菱UFJ信託銀行は2026年6月30日、三菱UFJ信託銀行が主催するDID/VC共創コンソーシアム(DVCC)に「AIエージェント×金融取引分科会」を設置しました。投資信託などの金融商品取引をAIエージェントが顧客に代わって処理するユースケースを想定し、権限移譲の在り方、委任範囲の定義および証明、取引実行結果の検証可能性を論点整理し、検証可能なクレデンシャル(VC)の活用可能性を関連法令との整合性を含めて確認します。みずほ・三井住友・りそなや地方銀行、ベンダー、法律事務所が参画し、2027年3月までを目途に検討を進めます。
- AIエージェント決済は実際にどれくらい使われていますか?
- Coinbaseが公開したx402プロトコルのブロックチェーンBase上の累計取引は、2026年1〜3月期までに1億件を超えました(Chainalysis調べ)。ただし累計取扱高は報道ベースで約80億円(2026年4月時点)にとどまり、1件あたりの平均は数十円規模です。日本の投資一任契約の契約金額605兆円と比べれば、規模はまだごく小さい段階です。
用語集
- マンデート
- AP2における委任の証明。改ざん不能な形で暗号署名された電子契約で、利用者の指示の検証可能な証拠になる
- 検証可能なクレデンシャル(VC)
- 発行者の署名で真正性を検証でき、改ざんを検出できるデジタル証明書の標準形式。W3Cが2025年5月に勧告化
- 投資一任契約
- 投資判断の全部又は一部を一任し、投資に必要な権限を委任する契約。受任者には投資運用業の登録が必要
- セッションキー
- 金額上限・期限・接続先を限定してスマートアカウントが発行する鍵。範囲外の取引は実行段階で拒否される
- ERC-8004
- AIエージェントの身元・評判・検証結果を台帳上のレジストリで扱うEthereumの標準案(起草段階)
- Know-Your-Agent(KYA)
- 顧客本人の確認(KYC)に加え、エージェントの検証可能な身元を法主体に紐付けて確認する考え方。IMFのノートが提唱